ディスカスコンテスト2008にハイコ・ブレハーさんが来てくださると言う事でハイコさんのサイトから御本人のbiography『ハイコ・ブレハ−伝記」のページを翻訳させていただき御紹介したいと思います。(
翻訳は私の会社の貿易担当に私がこっそりお願いしました )
ハイコ・ブレハーは1944年10月18日にメインのフランクフルトの遺跡バンカーという場所で誕生しました。 彼はラドウィグ・ブレハーとアマンダ・フローラーヒルダ・キールの四男で末っ子でした。
アマンダの父のアドルフ・キールは「水草の神父」として良く知られていました。世界で最も大きい植物と装飾用の養魚場をフランクフルトに設置した近代的水族館のパイオニアでした。
初期には、彼の大胆な娘アマンダは、魚と植物収集をしながら、世界中を旅行しました。 彼女がドイツでモーター自転車に乗る最初の女性であり、男性の中で148回の欧州モトクロス・カーレースで勝利し、テニスにおいては選手権を制覇、卓球(世界の準優勝)、欧州のスケートやおよびアイススケート経て、エンジンの無い航空機を操縦、縦する最初の女性でした…
ちょうどアマンダが彼女の父の足跡を追い求め、同時にハイコは母にも続きました。
彼は廃墟となったフランクフルト動物園の観賞魚展示会にて、4歳の時、最初のディスカスを見ました。
その後、彼は植物と魚を収集する為に当時6歳であった彼女をアフリカに連れて旅しました。7歳の時に、彼の母親は彼女と共に彼の最初のディスカス収集で彼女の兄と2人の姉妹を連れて行きました;
大胆な探検が、やがて南米のジャングル、「緑色の地獄」に深くのめり込んで行きました。彼等一家は、4人の宣教師を殺して、食べたことがあった未知のインディアンの部族との遭遇に出会う領域に足を踏み入れることになりました。
彼らは6カ月以上現地人と共同生活をしました。また、60の新種・水生植物種、無数の魚、他の多くの動物を試食してみました。 子供達も同じ食物を食べて、ハイコはインディアンと同じ生存方法を学んで、マトグロッソに魚と植物を収集し、彼は、魚に賭けた人生とライフスタイルを通じて学び、毒されていない自然に存在する驚くべき品種の魚に次第に、造詣深くなりました。
wimpel-ピラニアを発見しましたが、その時点では、未だ、ディスカスは、発見されていませんでした。2年後に、アマンダは、4人の子供一緒に文明へ復帰し、その後、世界中の新聞の見出語を飾りました。1959年に、彼女は、永久にブラジルに移住する事を決意しました。ハイコがリオデジャネイロの郊外のジャングルに飼育する為の水草育成室を建設し養殖活動に貢献しました。
1962年に、彼は、米国に移って、南部フロリダ大学に通いました、夜間研究し、魚に関して多くを学びました。
彼は魚類学、生物学、湖沼学、海洋学、寄生虫学、その他多数の講義を受講しました。 1日中、彼はFish Farm湾でElsberryの養殖場において深夜まで働いていました。
2年後に、彼はリオに戻って彼自身がブラジルで収集した魚をもとに、水族館をリオデジャネイロにオープンしました。1964年の末に、彼の名前から命名される新種を発見しました;
Hemigrammus bleheri、輝かしいラミーのヘッドテトラ、現在最も広く流通されている観賞魚です。 また、彼は現在他の多くの種と共に世界的に有名な状態で「ロイヤル・ブルー」、ディスカスの最初の新種を発見しました。
ハイコはその数年後にも多く新種を、未知の領域を探検し発見しました。その後、1967年までに、彼は彼の水族館をリオからドイツへ移転し、毎月ブラジルと南米を行ったり来たりする生活をして収集しました。
数年間、単独で、ハイコは、くまなく南部と中米の国のジャングルに探検しました。 また、彼はディスカッスと他の種を求めて1年に最大10回のアマゾンの地域に探検しました。
1970年代に、彼は、アフリカ、アジア、及びオセアニア(オーストラリア、ニューギニアなど)を含む地域で、彼の影響が反響を呼び、世界講演となる広がりをみせていきました。
彼は、ドイツのZDFと共同で最初に、ディスカス-テレビ映画、タイトル "Expeditionsziel Aquarienfische"を製作し、各国で多くのテレビ出演を果たしました。
彼の処女作であるディスカスの本は、1982年に初版されて以後、10回程増刷されました。 それ以来、彼は世界中の雑誌でディスカスに関する記事を発表しています。
彼の最初の記録映画「Wimpelピラニア」は、1983年に製作され、ニューギニア、オーストラリア、中米の淡水魚の映画が90年代まで4本が上映されました。
1997年迄にフランクフルトから、彼は新種世界中の卸売業者に提供しました、彼自身の発見から、毎年新しいディスカスが発表されています。ワイルドなディスカス・バリアンツから趣味に至るまで大部分を導入すること以外に1965年〜1997年の間に
彼が発見した(または、再発見されます)4,000以上の観賞魚種を紹介しました。 これは「コアリ」、や「Japurとaacute」から「青い頭のヘッケル」、「アレンケール」「レッドスポットグリーン」などの異形も含まれています;
有名な「リオイカ、ccedil、及びaacute」;ディスカス、及び(現在の最も観賞魚用として流通している1つ)(Pterophyllum
altumなどのエンゼル)がNanochromis nudicepsやSteatocranus bleheriやChanna
bleheriのように小さいMelanotaenia boesemaniや、M.lacustrisやM.praecoxなどのrainbowfishes…Pterophyllum
altum, Nanochromis nudiceps and Steatocranus bleheri
or Channa bleheri. 等。彼の最もよく知られている発見の1つは1982年に遠く離れた北オーストラリアの湖の中で知られていた最初の淡水ノコギリエイでした。
ハイコは、1993年にフランスやイギリスでマン・オブ・ザ・イヤーに選出されました。 彼は、数多くのタイトルを保持して、王、社長、大使、および上院議員とも会いました。
彼にとって奥深いジャングルの中で新種や希少な魚に遭遇する事が最も幸福な瞬間であり、生き甲斐を感ずる瞬間でもあります。
ハイコ・ブレハ−さんのオフィシャルサイト http://www.aquapress-bleher.com/index.php?option=com_frontpage&Itemid=1
|